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東京高等裁判所 昭和33年(う)1253号 判決

被告人 有限会社栃木合同精麦所

右代表者 増山新一郎 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告会社および被告人増山新一郎の負担とする。

理由

控訴趣意第一点

所論は、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤があると言い、財産の評価について、商法三四条は、営業用の固定財産以外の財産につき、客観的交換価格すなわち時価を基準とすべき旨規定している、と解すべきことは通説判例の示すところであつて、私法秩序の基盤の上にある税法においても、右の方法標準にしたがつて所得計算上の財産評価をすべきはもちろんであり、ただ、法人税法施行規則一七条、一七条の二は、期末時価をこえない評価益を認め、又期末時価を下る評価損を認めないだけで、いずれにせよ、時価以上の財産評価をすることは許されないのにかかわらず、原判決が、被告人会社の、(イ)銀行定期預金計一九〇〇万円(被告会社と当該銀行との間の債務担保契約に基づき質権が設定されていると原判決の認めたもの)、(ロ)岸商店に対する売掛金八万九七五〇円、(ハ)佐藤文吉に対する貸付金四八万円、(ニ)三栄モータースに対する貸付金二〇万円、(ホ)大山康に対する貸付金一〇万円、(ヘ)栃木精麦株式会社に対する出資金五〇万円につき、いずれも時価による評価を要しないものとし、それらの客観的交換価値を顧慮することなく、それぞれの額面金額によつて本件所得計算上の期末資産に計上することを認めたことは、明らかに前記法条の解釈適用を誤つたものである、と主張する。

ところで、所論の財産評価についての法の解釈適用上、私法と税法との関係を理論上どのように解すべきかどうかはしばらく別とし、法人税の課税標準たる所得の計算上、公表外の債権が資産として計上された場合、当該期末において回収不能と判定さるべき割合程度にしたがいその全部若しくは一部の価値の喪失が認められるときは、税法上このような場合を規定した明文はないけれども、一応額面金額についていわゆる益金性を認めたうえ右価値の減少分だけいわゆる損金に算入して所得の計算をなすか、又は初めから右価値の減少の程度にしたがい額面を割つた当該債権の時価によつてその資産評価をなすべきものであると解することについては、ほとんど異論を見ないであろう。しかし、本件において、まず所論(イ)の銀行定期預金債権について考えるのに、所論は、質権は目的物の有する交換価値を直接かつ排他的に支配する権利であるから、たとえ質権の客体である右債権そのものについて権利の消長に何らの影響がないとしたところで、所得の計算上資産評価をする場合、その債権額を計上すべきではなく、その有する交換価値が、すでに質権者たる当該銀行によつて直接かつ排他的に支配され、債権者たる被告会社には存しない、という質権による制約を受けた価額、すなわち時価を計上すべきであることはもちろんであるというのであるが、およそ課税標準たる所得は、当該事業年度の総益金から総損金を控除した金額により計算するという税法の建前から考えれば、所論の銀行定期預金債権に質権を設定することによつて担保された被告会社の銀行に対する借受金債務が、すでに負債として公表決算にのせられ法人税申告の際申告され、所得の計算上いわゆる損金に算入されていることが記録上明らかである以上、右預金債権については、たとえそれが質権の目的となつていたにせよ、そのことはこれを度外視し、単純に債権それ自体を直視し、そこに回収不能又はその可能性による価値の喪失ないし減少などが認められないかぎり、当該債権の額面どおりの金額をもつてその益金性を認めれば足り、たとえば右質権の目的たる債権が被告会社以外の第三者の銀行に対する債務の担保に供せられている場合のように、その債権を資産として認めるために、質権実行の危険による価値の減少の有無等を計りいわゆる時価評価を考慮する必要など少しもないといわなければならない。この点に関する原判決の説明は、その趣意必ずしも明らかでないけれども、結論は以上述べたところと同一に帰するのであるから、結局原判決には所論の法令適用の誤は認められず、弁護人の主張は理由がない。次に所論(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各売掛金ないし貸付金債権についてみると、記録によれば、被告会社の代表取締役増山新一郎の原審公判廷における供述、同社員栃木義明の収税官吏に対する供述中、右(ロ)、(ハ)の各債権について、当時その回収の見込がなかつた旨述べられており、又(ニ)、(ホ)の各債権について、関係債務者らの検察官に対する供述調書に、その後長い間債務を完済することができなかつた旨の記載があるけれども、他方当審において取調べた収税官吏白石利行の証言によれば、当時調査の結果回収不能等不良債権と認められるような形跡はみられなかつたというのであるし、およそ一般に債権について現実に弁済を受けられるかどうかは、単に債務者の支払能力の有無等客観的条件に支配されるばかりでなく、債務者ならびに債権者双方の誠意、努力等の主観的条件に影響されることも少くないわけであるが、税法上前述のようにその割合程度にしたがい債権の全部若しくは一部の価値の喪失を認むべき回収不能ないし回収の見込不確実と判定せられ得るためには、その性質にかんがみ、従来税務行政上貸金、売掛金等債権の貸倒れと認められるための判定基準として、債務者が破産、和議等の手続に入り、若しくは事業閉鎖を行うにいたつた等のため、又は債務超過の状態が相当期間経過し事業再起の見込みがない等のため、あるいは天災事故その他経済事情の急変のため等により回収の見込がない場合などを挙げているとおり、これらの場合その他少くとも右に準ずるような支払困難の客観的事情の存在を必要とするものと解するのが相当であるとなすべきであるから、結局前記(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)の各債権について、記録にあらわれた証拠によつては、当該期末において上述のような意味における回収不能ないし回収の見込不確実の事実を確認するに足る証拠十分とは必ずしも言いがたいとせざるを得ない。この点に関する原判決の説明も、いささか尽くさないきらいはないではないけれども、結局右と同一趣旨に出たものと推測されるのであつて、ともかく原判決には所論の違法は認められない。最後に所論(ヘ)の出資金債権については、証人白石利行が当審において述べているとおり、それが額面金額をもつて公表決算にのせられ被告会社の法人税申告の際資産として申告済であることは記録上明らかであり、かつ本件は申告洩れの所得について脱税の罪を問うているものであるから、仮に右債権について実際上所論のような回収不能の事実が存したとしても、本訴において所論の抗弁を容れるべき筋合でないことは当然であるといわなければならない。論旨は理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 兼平慶之助 関谷六郎 足立進)

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